クズは定時で帰りたい

趣味の時間を捻出するブログ

やっと初うどんの日

テレビがコイン式の宿だった。

切れないでくれと祈りながらニュースを観ていて、有料チャンネルを観るのはこんな気分なんだろうかとふと思った。

修行中なのに変なことを考える。

 

国分寺のすぐ近くにピンクのラブホがある。よくこんな所に建てたよなぁ。人来るのかな。空気的に。

さっき変なことを考えたのはこのラブホのせいでしょうか。(違うと思う)

国分寺には次の白峯寺までのルートが文章で書いてあった。

まあ地図があるので良いんですけどインパクトがすごい。手書きだし。

 

白峯寺へ行くまで階段を一気に上る。

思えば階段にも慣れたねえ、なんてわけはなくへろへろになり東屋で一休みした。眺めは良い。

そういえば眺めが良くて晴れていたのは初めてじゃないかな。やっとだよ。マジで。

そこにシルバー軍団が登場。やたらフレンドリーだ。

こんなに祖父母がいたっけ?と錯覚するフレンドリー具合。

話を聞くに、へんろ道のゴミ拾い等をしているボランティアの方々らしい。

私の荷物を背負って「13kgってとこかな」とそのまますいすい上る。

階段に慣れるってそれのことだな・・・と思いつつ追う。

荷物が重いから階段がしんどいだけで、本当は体力あるのよ!と態度で示したかったが荷物がなくとも階段はきつかった。

(かなり楽にはなったけどね。)

上りきったところで荷物をもらって、みんなで進む。

 

この方たちはこの辺のへんろ道のゴミを拾ったり、落ちた長い枝を山へ払いのけたりしているとのこと。

かなりこまめにやっているようで、落ちているゴミといってもポイ捨てなのかうっかり落としたのかわからないようなものがたまにあるのみ。

ほとんどは枝。逆になんでこんなに枝が落ちているんだ?

 

彼らとは山に入るところで別れた。

山といっても階段で大半を上ってしまったのか、木のトンネルのような緩やかなアップダウンで歩きやすい。

落ち葉もフカフカだしね。

しかし自衛隊の訓練場の横なのでなんだか緊張する。

笠と杖とおいづるだからどう見てもお遍路だよね、

いやしかしお遍路を装った過激派と思われるかもしれない、

危険品は持ってない、いやカッターとライター持ってるわ・・・

 

白峯寺は山の寺って感じだが、またこれまでとは違う雰囲気。

人がそれなりに来ている感。まああたりまえですけどね。

帰りも木のトンネル。雰囲気がいいですね。もう一度言うけど歩きやすいしね。

 

今日は日中ずっと山の上なので食堂へ。

四国来て初めてうどん食べたよ。うまいね・・・。しみるよ・・・。

そういや温かいもの自体、昼にあんまり食べてこなかった。

店を出ようとしたが、店のお婆さんが連続テレビ小説に熱中しているので気配を消して終わりを待った。

 

根来寺は何やらおもしろい寺だ。

何がおもしろいかと言われても説明できないが、これまでにない個性がある。牛鬼もいるしね。

ここふたつは個性派だと思う。

 

納経を終えたところで昨日のお先達氏に追いつかれた。

一緒に納経所へ行ってびっくり。

納経帳はもはやはんこ捺してもわからないくらい真っ赤だ。

100回くらいまわってるんじゃないかね。

 

山を降りながらいろいろな話をした。

途中、盆栽の畑があり「盆栽ですよ」「おもしろいですね」「盆栽ってこう栽培するんですね」などと言いまくっていたが向こうはクール。

よく考えたらこの人納経帳が真っ赤になるほど周ってるんだからそんだけこの盆栽畑を見てるわけよね。

おほほほ。恥ずかしい。

 

下山してしばらくして、私がATMに寄らねばならず別れた。

私はぐうたらな遍路なので、私が明日宿を出る頃にはこのお先達氏は既にどこか打ち終えているだろう。

階段に飽きた日のこと

私の髪はなかなか乾かない。

だから風呂に入らないと頭はもやもやするがたっぷり寝られる。

というわけでこの朝も頭はもやもやしつつ中身はすっきり。

同宿のチャリ青年、職業遍路氏にお餞別でクッキーをあげ、チャリのメンテナンスがあるという二人に見送られて宿を後にした。

 

勝浦町に入ると「ビッグひな祭り」というのぼりがあちこちに立っていた。

民家の前にひな壇が設置されていたり、軽トラの荷台に雛人形が飾られていたりするが

雛人形自体は普通だし、全部の家というわけではないのでビッグ感は薄い。

むしろビッグひな祭りののぼりの方が目立つ。

 

産直市でみかんを買って、頭陀袋にくくりつける。

すぐ先に「ビッグひな祭り」の会場があった。

どうやら「街全体でひな祭りやるぞ」ではなく、本当にビッグなひな祭りがあるそうで。

会場前にいた人に「娘さんなら見ていくとええよ」と言われて入場料のかからない範囲で少し見せてもらった。

倉庫?の天井近くまである巨大なひな壇に大量の雛人形

今日はNHKが来るらしくみんな楽しげに忙しくしていた。

 

ビッグひな祭りの会場を出たあたりでチャリ青年に会った。

「何してたんですか?」

「なんか、ビッグひな祭りというやつを見てきました」

それぞれ再び出発。

 

ほどなくして山に入った。そしてすぐに急坂の階段になる。

坂じゃないからいいかも、と思ったのは最初だけで、最初の階段の中腹ですでにへこたれそうになった。

とにかくこの山は階段が多く、しかも手作り感のある階段なので段差が一定でない。

筋肉をいろいろ使うのがいいみたいな話?

それとも階段作りが流行った?

いや思い出した。谷亮子がトレーニングに使ってたのもこういう階段だったはず。

金メダル何枚も要らないから誰か私を鶴林寺に連れて行って・・・

 

へんろ道はうねる車道をショートカットするので、車道を渡ることもある。

そこに町の掲示板?があり、町の人々の川柳が出ていた。

こういうの風情丸無視で孫溺愛ネタとか出てきて好きなんですよ。

どんな感じの川柳かと見てみると、

 

・せっかくの新芽を鹿が食べつくしてしまった

・捨て畑のみかんにムクドリが群がっている

・年老いてぼけた母が捨て畑を耕している

 

OH...

 

田舎の現実を突きつけられてまた階段を進み、ようやく鶴林寺へ。

山の上の寺って感じでいいですね。からっとして爽やか。

そして三度目のチャリ青年。

どうも急坂でぐねぐねだから歩きよりちょっと大変なようです。チャリも良し悪しだね。

 

次の太龍寺も山。しかも別の山なのでなかなかハードである。

鶴林寺の山を降りる。階段は下りの方がやばい。膝の皿がパコッと取れそうだ・・・。

いやもうとにかく階段は嫌だ。あの丸太で作った階段が嫌だ。

ようやく降り切って、みかんを食べながら宿でも取るかと思いきや圏外。

まあ確かにこんな場所を圏内にする必要はないよね。東屋しかないもの。

 

太龍寺は「西の高野」と言われているらしい。

謎の落ち着き感がある寺だった。高野山もこんななんですかね。

終わりかけの蝋梅がかすかに良い香り。

太龍寺の上りも階段があったので、もう降りたくなくてしばらく散策するフリしてうじうじしていた。

 

しかし宿をなんとかしないと丸太の階段に野宿するはめになるわけで、

目星をつけた宿に向かって降りる。なんだ車道じゃんね。よかった。

 

降りてすぐ、チャリ青年が追いついてきた。

さすがに階段が嫌すぎて超ゆっくり行ったのでもう追い抜かれていると思っていたがやはり車道は長いらしい。

速度はどれくらい出るのか、とか、山降りるのは怖くないのかとかいろいろ話した。

鶴林寺太龍寺は人によってはチャリ担いでへんろ道を行くらしい。

ひとしきり話して、青年は薬王寺近くの善根宿へ行くからと白衣を風で膨らませて坂を降りていった。

 

幸い宿はすぐ入れて、豪勢な料理に舌鼓を打ち、みかんを食べながらテレビを見る。

テレビではみかんとりんごの作付け分布が温暖化で変化しているというのをやっていた。

ちょっとタイムリー。

飛ぶわ!と思った日のこと

これ、この前のもだけど十年以上前の記録を引っ張り出して

問題ありそうな箇所は適宜削って足して書いてます。

 

 

宿坊の朝。

しかし素泊まりなので食事は買ってあったおやつとパンと魚肉ソーセージ。

食べながら見ていた天気予報では「室戸付近を台風並みの温帯低気圧が直撃」とのこと。

大雨洪水暴風波浪警報だってさ。フルコースじゃん。

なんでよりによっていま最御崎寺にいるのか・・・。

内陸に住んでいたからか、波浪が身近に迫っているのがやたら怖い。どうなるんだよ。

 

立江寺門前町で雨具用に買ったビニール袋に首の穴を空けて着てみた。

荷物と「気をつけ」の私がぴったり収まった。

こんな気をつけ、ガールの戸隠キャンプ場で国旗降納したとき以来だよ。

詰め放題ならもうみかん1個入るかどうか。文旦は入らないな。高知だけど。

っていうか息ができないよ!!

試着すればよかった。

 

慌てて売店でポンチョを購入。

室戸にいてよかったのか悪かったのかよくわからなくなってきた。

 

新品のポンチョをひらひらさせ、止めてくれるなとチェックアウトしたが

「お気をつけて」

「行ってまいります」

と普通であった。

止めてよおおとちょっと思った。いやもう行くって言ったから行くけどさ。

 

最御崎寺からはまず55号線に降りねばならない。

その名も室戸スカイライン

晴れたら遮るものもなく最高だろうね。今は遮るものもなく飛ばされそうだけどね!

ポンチョを着ているので気分はももんが。マジで怖え。

 

ようやくスカイラインを降り、住宅街へ。

住宅街も改めて見ればさすが台風仕様というか、人気もなく地面にぎゅっと張り付いている。

出歩いてる私がバカみたいな感じがしてくる(たぶんバカ)。

 

津照寺の立地についてすっかり忘れていたが、こちらも高台にある。

っていうのを到着して思い出した。

しかも最御崎寺と違ってバックアップが薄いのでどこまでも飛ばされそう。

むしろ寺ごと飛んだことあるだろこれ。

 

急な階段を上り、海辺感のある門をくぐる。

晴れていたら素敵なんだろうけど、「大雨洪水暴風波浪警報だぞ、そんな素敵な門を構えてる場合かよ・・・」としか思えない。

こんなんじゃあ線香もろうそくも消えちゃうよ・・・と向かった本堂はなんとガラス戸。

なんだかんだで小一時間強風に当たっていたからか、堂内では現実感がないというか不思議な気分だった。

 

再び階段を降り、こちらもガラス戸の大師堂へ行き、納経所へ。

「すごい風ですね」なんて話をしつつ・・・と思ったらどうやら出掛けるところだったのか、えらいばたばたしていた。

いや、この大雨洪水暴風波浪にツッコミをしたいじゃんここは。

階段降りながら「風すげえ」と言ってみたが、暴風に紛れて消えた。

 

次はバックアップのある山、金剛頂寺

坂を上り始めたら風雨が弱まった。

ただ畑はもはや畑なのか水田なのかわからない、辛うじで段差のある池。道は浅い川。

参拝しているうちに雨が止んで明るくなり、ようやくひと休みしていると夫婦が声をかけてきた。

「よかったら車で一緒にまわりませんか?」

 

そんなわけでそこから国分寺まで一気に進んだ。

ごはんまでお接待してもらってありがたや・・・。

 

ところが国分寺、周りに宿が少ない(当時)。

聞いてみたが国道まで出ないとないそうで、国道沿いのビジネスホテルを予約して向かう。

へんろ道からは大きく外れるので不安でいっぱい。

休足時間とか買ってみようかな・・・と思ってドラッグストアに立ち寄り、店員さんに訊いてみた。

「あの、休足時間もどきみたいなやつないですか?」

・・・なんで最初から「もどき」を探したんだろう私。

廃屋に泊まった日のこと

仕事が忙しすぎて家がほったらかしなので、昔の話でも書いていきます。

 

四国遍路で愛媛にいた時の話。

 

宇和島の善根宿を出て、その日は仏木寺明石寺へ行って明石寺付近で宿に泊まろうと思っていた。

昨日はそれなりに暖かかったし、善根宿には一般的に風呂がない。

車道での峠越えは起伏のしんどさがあり、かといって山のような開放感もなく、休む場所もあまりない。

昼過ぎには疲れてきて、明石寺で宿を聞くつもりでとにかく歩いた。

が、やはりへろへろで閉門前にどうにか納経を終えたもののお寺は片付けモード。

宿を聞ける感じではなかった。

 

とりあえず大通りに出て飛び込みで探すか・・・と暗くなり始めた道を歩き始めたら声がした。

「おーい!おへんろさん!」

が、周りには人のいそうな場所がない。

「一緒に泊まりませんか!」

なんと隣の廃屋の2階から、足摺で同宿だった師弟の弟子氏が両手を振っていた。陽気だ。

「お久しぶりです!宿決まりましたか?」

「いえこれからです」

「ここ、持ち主には許可取ってますからどうぞ!」

どんな人脈だよ。

 

入ってみればきれい、なんてことはなく見た目通りの廃屋だった。

床が抜けるほどではないが廃屋だった。

電気もガスも水道も当然ないが、トイレはボットンなので問題ないし、オーナー宅の水道を借りて水も調達できる(らしい)。

電気はヘッドライトがある。

 

ラジオを聞きながらキャンプ用コンロで師匠が作った晩御飯をいただいた。

風呂はもちろんない。

あてがわれた2階の部屋にはピチピチの松下由樹のポスターが貼ってある以外は何もなかった。

松下由樹は今の方が美人だと思った。

銀マットを敷いて寝袋を出し、他にすることもなくヘッドライトの電池を食うのも嫌なので腕にカイロを貼って寝る。

目の前の道路では夜から工事が始まり、ただの四角い穴になっていた窓から音が丸聞こえだった。

 

その日見た夢は「この廃屋に立てこもった過激派の私が警察に包囲され、弟子氏が必死に私を説得している」というものだった。

(引き入れたのは弟子氏だというのに。)

 

翌朝、NHKのやたら詳しい天気予報を聞きながら豆腐をいただいた。愛媛は霜注意報が出ているらしい。

寒いので何もしなくても冷奴だ、と言ったら師匠が笑っていた。

盾としての謙遜

隣のチームが暇らしく、いろいろと業務を手伝ってもらっている。

あと日常的に派遣さんにいろいろやってもらっている。

 

となっているが、実際は派遣さん以外は「(語学・技術などの理由で)持て余してるから芝浦に押し付ける」状態。

新しく教えてもどうもぽやーんとしている。

わかんなかったら訊けばいいや感。マニュアルは読まねぇ。

挙句自分の仕事が来たら返却せず何も言わずに自分の仕事を始め、そのまま帰る。

この前も書いたけどさ、せめて一旦返して・・・。

 

前置きが長くなった。

私が文句を言いたいのは、謙遜である。

「終わったんですけど、不安なのでもう一度チェックしておいてください」というやつ。

チェックを頼んだものに対してチェックをするのなら最初から自分でやっても同じなのだ。

(設備屋が使う平面図なので、そんな難しいチェックはしない。)

っていうか仕事で「不安が残る」んだったら不安が残らないまでやってほしいし、質問してほしい。

外食行って「虫とか指とか入っているかもしれないので注意して食べてください」って店員に言われたら嫌じゃん?

そういうことよ。

 

別にミスするななんて言ってない。そんなの私も無理。

でも、「人はときにミスをする」と「不安な仕上がりでいいよ」は同じじゃない。

 

 

最近は謙遜がひどい。

どこでもみんなほいほい謙遜するので話が進まない。

世間話とわかっていても時間の無駄だと思うほど、みんな謙遜している。

しかもそのうち半数くらいは「そんなことないって」のフォローありきで謙遜するからめんどくさい。

謙遜に次ぐ謙遜に「そんなことないよ」って言いすぎて口が疲れて放置すると「いや、ここフォローするところだから」。

「そんなことない」しか言えない口にもなってあげてよ。飽きるわ。

 

みんなそんなんだから逆にガチクズの私は裏切者扱いをされる。

いくら「部屋が散らかってるから無理」「けもの道状態だから無理」って言っても

「ちょっとだけだから!」と家に来たがる友人がついに家に来る。

「部屋汚いって言ってて本当に汚いなんて初めてだよ!ありえない!」

なぜか私が責められる。

じゃあ部屋が汚い人はどうすれば伝わるんだ?死体があって虫がわいてるとでも言えばいいのか。

こんなことがたびたび起こる。

 

贈り物を「つまらないものですが」って渡すような定番の謙遜とは話が違う。

贈り物がもし実際つまらなくても誰も困らないが、部屋がマジで散らかっていたなら来た人は困る。

「散らかってるけどどうぞ」というのは「散らかってはいるが人呼べるレベルにはしました」という意味なのでいいけど、

「散らかってるから無理」ってのは「散らかっていて人呼べる状態じゃないです」という意味なので

最終的に折れるなら過剰な謙遜をしないでほしい。

それとも「私はこれでも散らかってると思うわあ」という美意識のアピールなのか?

 

 

無駄な謙遜の役割は美徳や謙虚な心ではなく盾だ。

責められたくないから、陰口言われたくないから先に言っとく。

絶対に「そうだね」と言われないところまであらかじめ落ちておく。

そこまでして人と関わることに執着して、疲れないのだろうか・・・?

 

 

つーか本当に落ちてる人はどうすりゃいいのよ。

「いやほんと私みたいなブスが」って石原さとみ似の友人が透き通った声で言ってる横に立たされる身にもなってくれよ。

だから皆さんどうか無駄な謙遜はやめてください。頼むから。

迷うのは私だけか

親会社のパーティがありまして。

親会社はたまにそういうラグジュアリーなことをしたがるのでまあ想定の範囲内ではあったのですが、

うちは子会社なので呼ばれないと思っていました・・・。

変なところでグループの結束。

 

問題は、服装に指定があるということ。

 

「結婚式の二次会くらいの感じで」

 

出たよ、結婚式の二次会。

 

これって「何着たらいいのかわかんないやつ」の代名詞ではないのか。

みんな「どうする?」って相談するやつだよね。なんでそれにした?

私は2回出て2回とも浮いていたよ。1回目は軽すぎ、2回目は堅すぎ。

(逆転させてたら馴染んでたと思う)

なんだよちょっとしたワンピースって。あるわけねえだろ。ちょっともしない庶民なんだから。

スーツも上下揃ったものは冷食の坦々麺が直撃して2年前に捨てたよ。

(というか普通の地味なスーツなので二次会で着るやつじゃあない)

 

そんなもん予め買っとけと言われてもですね、

この年代って似合う服が年々変わっていくので予め買えないのよ。

去年いけた服が今年は「少女趣味のおばさんかな?」となったりするのだ。

あと、ちょっとした服ほど流行の出るものはないと思う。主にシルエット。素材。

ドレスまでいけば流行は関係なくなってくるのですがね。

(大きな流れはあるが、年齢はそれより速く変わる)

 

あとそもそもの大問題としてデブなので、しかも下半身デブなので売ってる服がない。

どういうわけか太めの服っていきなり寸胴?になるんですよね。

あれだと大きいわけよ。

腰まわりの布の落ち方が妙なことになるし、肩まわりがだぼだぼになる。

でも普通の服は入らない。特に尻。

 

それから髪。

私の髪はセットしづらい。しかも多い。

美容師さんだっていつも大変そうだ。

重いから「ゆるい感じに〜」ってのもできないし、

ガチガチに固めても会場着く頃にはそのガチガチごと崩れてるからね。

美容室でやってもらうのも難しい(2日行程の2日目)。

これは私が悪いのだが、寄付すべく髪を伸ばしているので下ろせば化け物だ。

 

そもそも二次会というかなり広い範囲の服、何が正解なんでしょうか・・・。

またこれで検索して、結婚情報が広告に出まくるという状態になるわけですよね・・・。

私はいつになったら定時で帰れるのか

「私、定時で帰ります」なんてドラマがあったらしいね。

残業があるので知らんが・・・。

定時(とその仲間)で帰れた人が定時で帰る人のドラマを見る。

おもしろいのだろうか。

 

まあ残業から帰宅して観ても腹立つだろうから、残業しない人にはおもしろかったのでしょう。

ちなみにこのブログはパロディでもなんでもなく、かれこれ1年以上やっております。

 

業務にメスが入る

仕事は落ち着く気配がなく、私だけこのまま年度末まで駆け抜けるのではないかという感じで

異動やらなんやらに合わせて仕事が整理されることになった。

 

たしかに残業も多いが売上も不定期にぼこっと上がっている。

目標の130%前後を行き来し、数か月に一度300%くらいになるのだ。

もちろんそんな量をひと月でこなせるわけがなく、「そこまで売上があるわけではないが残業が多い」という月が多い。

じゃあ売上の立つ月に60時間残業していいかというと、それももちろん違う。

 

なんか「暇なうちに某CADの操作を誰にも教えなかった芝浦が悪い」という声も出ているようで・・・

暇な頃はそのCADを使える人がもう一人いたし、

その人が辞めるときに派遣さんに操作を教えるのを

「辞める奴なんかにやりがいを与えない」という超絶くだらねえ理由で止めさせたのは会社なんだけどね。

 

とにかく業務を整理して、今後は断る仕事も出てくるとのことで

しかも私が断るわけで、

「残業は数値化できるけど仲良くやってきたお客さんを断る精神的ストレスは数値化できないからどうでもいいって方針ですね」

と言ったらムッとされた。

いやムッとしないで堂々としてりゃあいいじゃんね。

そっちのが正しいんだから。

 

恐怖のメンター制度

で、各部署にメンターを置いてなんかやってもらうらしい。

メンターって何。相変わらず横文字大好きだな上司。

外国人に通じないんだからやめたれよ・・・。

 

どうやら先輩として後輩を指導・助言したりなんだりするのがメンターで

私はメンティらしいよ。

そしてメンターの力で自主性を持って仕事に取り組めるようになるらしいよ。

すげえ。全く興味が沸かない。

 

・・・しかしまあそのメンターをやる人が怖くてですね、

例えば自分は電話が苦手で「電話しなくちゃ」「でも電話って苦手」「でもここは電話だよね」「電話嫌だなあ」という迷いで2時間過ごせるのに

電話が苦手な人に「電話しなよ」「ほら今電話した方がいいから」「はい電話して!」と詰め寄るようなタイプなのです。

いやまあ仕事だからするけどね、怖いのよ。そういうの。わけわかんないじゃん。

 

新卒のメンター関係ない部署の子が「メンティー同士競わせるの良くないですか!?」なんてひらめいてて、

それもあの、うちは中途採用ばっかりで入社時の能力とか経験とかばらばらで、

その点では私がダントツ最下位、少なくて10年近いキャリアの差があるのでおそらく追い抜くことはないだろう。

いやまあやれってならやるけど。仕事だし。

 

で、残業、減るの?

そこなんですよ。そこ。

働き方改革で謎の帳票と捺印欄が増えまくり、つまり帳票入力と捺印が増えており、業務時間も長くなったのだが

果たして残業は減らせるのだろうか?

 

なんかメンター予定の方々がミーティングをよくしてますが、1時間の予定が平気で2時間したりしてんのよね。

じゃあ図面業務も8時間勤務なら平気で16時間やるってことだよね。

嫌だよ。26時じゃん。

それできるの家族に無駄な理解がある私だけじゃん。

 

雲行きは怪しいばかりです・・・。