前回の続き。
働きにくい理由はちゃんと分けて考えるべきでは、とは書いたが
実際に働きにくい面もあるとは思う。
それは凡人なのか
社会で活躍する女性、という褒め称えられる先駆者がいる。
しかし彼女らは
・男社会を切り拓きまたは起業し
・フルタイムで働きながら育児などをし
・自己研鑽の余裕を持ち
・インタビューに答える余裕まである
普通に考えて凡人ではない。
これを「私もこうなりたいな」「女もこうあらねば」みたいに思っていたってほぼ無理だし
「こんな素敵な人がいるんですよ心強いですね」
なんて雰囲気の紹介自体おかしい。
超人紹介コーナーでやるべきなのだ。
あと「周囲が協力的で羨ましいですこと」みたいなのも違う。
凡人ではないのだ。
「協力という事象が存在した」だけで、他者の協力とかそんなの超人には関係ない。
「休日は普通のおばさんです」みたいに書かれてたって
そりゃ凡人になったことない立場の「普通」だってあてにならんよ。
結局そこで「私はそんなの無理だから」という当たり前のことを考えて
「総合職は無理だから」「フルタイムは無理だから」となる。
結局そうやって生き残った人のやり方で「女が働くとは」みたいなものができていくから
女がフルタイムで定年まで働くのが当たり前というふうになるまでずっとしんどいままなのだ。
とっくに「女は精鋭だけいれば良い」って時代は終わっているはずなのに・・・
戦術が違う
あくまで私の経験してきた範囲にはなるが、女の会社員ってごろごろいる。
全く珍しくない。
私も「○○チームの芝浦」で完結する。
客先だって女性がたくさんいる。
しかし先輩方はそうでもなかったわけで、
「男社会を切り拓く」「新たなキャリアモデルを築く」
みたいな強さ系の才能が仕事と同じくらい必要とされていた。
一方で「あの女性社員」「働いてる女」というインパクトはあった。
私が子供の頃は「あのお家はお母さんが働いてるからPTAの役は回さないであげよう」という感じで
少数ゆえの強みも少なからずあった。
今は極端に弱くなければどうでもよく、女というインパクトはない。
(50代とかだとまだインパクトはあるのかもしれないが)
そこで女という人間のほぼ半分が該当するような共通点で
先駆者が「女のキャリアはねえ・・・」と説いたところでとるべき戦術が全く違うのだ。
使い途のない過剰な能力を要求されてつまづく人もいるのではないか。
「仕事は男のもの」という既成概念をぶち壊して来た人が
今度は「女が働くとは」という既成概念にとらわれるのだ。
諸行無常を感じる。
仕事がない
それだけハードルが上がっているのだから、
「本当は働きたい」というのを
「働きたいけど社会が許してくれないのだ」が100%と受け取ることには疑問がある。
いろんな人と仕事をしていて思うのは、
・新たに自力で覚えることはなし
・未経験可
・お客様との応対なし
・競争なし
・責任なし
・残業なし
・休みやすい
・通勤が辛くない
・小綺麗
・安定
という仕事を多くの人が求めている。
上記の条件を挙げて就業を躊躇する人もいる。
こんなの滅多にない仕事である。世の中の0.01%もないのでは。
それでも皆無ではないので、こんな舞浜もびっくりの夢さえあれば
「働きたいのに働けないかわいそうな女」ということになる。
なんせ本人はこういう仕事であればやる気なのだから。
これを「本当は働きたい」にカウントしていいのか?
女だから仕事がないのではなく、そういう仕事自体がない。
これって「日本は遅れてるなあ」なんて気にしなければならないことなのだろうか・・・