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働きにくいのか? その1

日本の女性は働きにくい、という記事を結婚記念日の鬼残業の帰りに見た。

じゃあこの私のこれはなんなんだという話である。

 

私個人はパワー的な問題(重いもの持てないとか)と服装以外で

女性の働きにくさを感じたことはない。

「やる気ない奴の働きにくさ」とか「偏頭痛持ちの働きにくさ」みたいなのはあるけどね。

 

男は働きやすいのか?

まずここだ。

私はこれまで男になったことがないので正確なことは言えないが、

もし明日から男になっても残業が減ったり品質が上がったりはしないと思う。

めんどくさい女性社員からは距離をおけるかもしれないが、

めんどくさい男性社員が接近してくるかもしれない。

 

なんせ男はフルタイムで働くためによく訓練されている。

でないとFIREとかでいちいち騒がないはずだし、

私が若い頃はラフな服でフットワーク軽いお金持ちのホリエモンに世間がざわついた。

この人らと、友人知人に専業主婦や扶養内で働きますという人がぞろぞろいる女では

どちらが正しいとかではなく仕事というものを同じ目線で見られているとは思えない。

 

なので「日本が働きにくい」のと「日本の女が働きにくい」のは別けて考える必要がある。

 

日本だから働きにくいのか?

今度は性別の話になる。

女には体力がないのでパワーの要る仕事は無理なことがある。

体調が安定しない人も男より多い。

 

でもこれは外国でも同じである。ヒトは女の方がパワーが弱いし体調は安定しない。

外国に行ったら建設職人の男女比が全分野半々になっているとは思えない。

 

また体調は個体差があるので配慮のはずが逆の差別になってしまう可能性もある。

同じ結果を出せたら同じリターンを、という話もあるが

「その時間そこにいてそこに来た仕事をする」という職種もあるわけで、結果云々で片付けられるものではないし

両方の要素が合わさっている仕事も多い。

 

その辺も自由に、となるとそれこそこの前書いた

「ある日スーパーが平日昼間だけの営業になる」みたいなことになる。

自分の生活の質と量と自由は誰かの仕事の質と量と責任に支えられている。

こちらも「女が働きにくい」のか「日本の女が無意味に働きにくいのか」を考えねばならない。

 

 

計算が合わない

つーか計算が合わない。

家事が100ある。仕事が100ある。

仕事を共働きで200にする。

どう考えても家事があぶれるのだが、

なんかよくわからない「両立」という言葉で勝手にキャパシティが増えたことになっている。

日本の七不思議の一つだ。

 

数式にすると

両立*(100+100+100)=200

とかになると思う。

両立=0.666・・・だ。

 

しかし3つの100の内2つは0.67を掛けるだなんて許されるわけがない。

67にはできても、それに伴って給料も0.67倍にするには法律上高いハードルがある。

つまり家事が圧縮されるのだが、生きていればある程度の家事は必要になる。

となるとキャパオーバーになる。

 

しかし「女性は社会に進出しなければならない」という大前提があるので

じゃあ家事を50に圧縮して仕事を50なんていう甘ったれたことは言えない。

男と同じ100でこそ社会進出だ。

 

するとやはり計算が合わない。

女性の社会進出をやるなら、男性の社会撤退もやって

「男と同じように」のハードルを下げなきゃならなかったはずだ。

向上心をふりかざしてあれもこれもできるべきというのは無理がある。

「夏休みは勉強せず遊びたいが宿題やらずに先生に怒られたくない」みたいなことで、

今日日小学生も言わないだろう。

 

というわけで日本は女が働きにくいと言われてもピンとこないのよ。

それって日本の女というより日本と女が働きにくいのではないか。