クズは定時で帰りたい

趣味の時間を捻出するブログ

ブスのことを考える

まあまず私はブスである。

子供の頃は結構気にしていたのですが、よく考えたら気にしたところで美人になるわけがないのでやめた。

猫背とか肥満とかは気にして生活習慣を変えたら高確率で直りますが(直してないけど)、

ブスというのはなかなか直らないし、気にするのに飽きた。

人生にはブスに悩むより他にしたいことが山ほどある。

 

ブスを差別するなという声の違和感

 

一方で私は頭が悪くはない。多分。

ろくすっぽ勉強せずに滑り止めとはいえ公立大学に行けてしまったし、

就職活動では筆記試験の勉強をしたことがなく落ちたこともなかった。

(だから毎度面接に呼ばれてはクズが露呈して7桁の金が飛んで行った)

でも大学には「努力の末この大学に入りました!!」という鼻息荒い人が大勢いて、

SPIに頭を抱える人はもっといた。

みんながSPIの勉強をしていた時間、私はライヴ行ったりして遊んでいた。

 

というわけで頭はしっかり差別されているのです。

頭いい奴が偏差値低い大学を選べることも、

頭悪い奴が予備校に金払って叩き込んでもらって解決し、金のない奴はそれもできないってのも顔と同じ。

それどころか勉強は何か言おうものなら貧乏でポテンシャル超高い人が「努力が足りない」などと言うのだ。

恐ろしい世界である。ブスの皆さんも言ってないか?「勉強しないからだよ~」って。

 

それに比べたらブス差別なんて努力の余地がほぼない分優しい。

だから差別するなって話ではなく、

需要に対して供給が足りないならふるいは存在するよねということ。

 

ブスのニーズ

 

しかし単純に劣る奴が負けて泣くという話では済んでいないのがブス問題である。

原作すら読んでないのであれですが、最近の話なので一応。

 

 

このクレームはいかれている。

「ちょうどいい」だと男から適当に扱われるから良くない、「ブス」という表現も良くない。

交流してみたい相手が接しやすいように自分の個性を生かしつつ印象や考え方を変えるって、就職活動みたいなもんだけど

それをブスがブスという個性を生かしてやるのはだめですって。

要はブスはブスにずっと悩んでろ!と。

 

これがもし「ちょうどいい美人」だったらプチプラ化粧品のキャッチコピーにもなれそうなのに、

ブスだと男に弄ばれることが一般的なのはなんでだ?

 

主観だから仕方ないんだけど、又聞きじゃなくて自分の知り合いで

本人が顔面ゆえに弄ばれて不幸になってばかりのちょうどいいブスってそんなにいるの?

ブスは弄ばれると断言できるほど何人もいる?

身の回りに弄ぶ男が大量にいる環境の方が問題だと私は思うけどね。

 

どうかブスには夢をつかみかけては転んでほしい!事あるごとに容姿で悩んでほしい!という理想を押し付けすぎではなかろうか。

そもそもちょうどいいブスがそんなに沢山いたら本書かねぇだろうが・・・。

 

表現がまずいというのも、仮にブスという言葉が消滅したとして、ブスは消滅しないんだから次の表現が登場のよアホ!

ちなみに私の言われてた悪口は「顔!」よ!!

顔って言葉、消滅しないよ!

 

ところがブスはブスに厳しい

 

さらに問題がありまして、ブスが結構ブスに厳しいんですよ。

特に努力で這い上がったブス。

やれ頭が悪い、仕事がしょうもない、性格が悪い、妥協しすぎ、努力が足りない等

顔以外のところを叩きのめしにかかる。

楽しいブスは稀(そしてそれは自分一人)でなくてはならないという信念があるのでしょうか?

 

ブスカテゴリから脱出だ

 

ブスと美人だったら美人の方がいい。それはたぶんそうでしょう。

ただ不器用と器用なら器用な方がいいし、肌が強いほうがいいし、頭がいい方がいいし、朝に強い方がいいし、実家が裕福な方がいい。

どうしようもない優劣はいくらでもある。

 

美人が勝った「容姿で優劣ついた場所」にブスがわざわざとどまる意味はあるのか?

自分はブスだということで結論は出てるわけですから、それを具体的に解決する気がないのなら次の判断をした方がいい。

 

ちがうよみんな魅力的だよ!ということではなく、それはそれとして世の中には他にいろいろなことがある。

ブスはみんなのアイドルじゃないんだから、各種要望はスルーしたらいい。

一度は仕方ないが、早く脱出した方がいい。