恥ずかしいことじゃない
たまに話が具体的な下ネタやごくプライベートな話になった時、
そんなの話さないよとか外(飲食店)でやめてよとか拒むことがある。
普通に自分の中に留めておきたい話だから基本拒んでいる。
するとほぼ必ず返ってくるのが
「恥ずかしいことじゃないのに」
「してるくせに言えないのか」
である。
生きていればそういうこともあるし、それ自体は恥ずかしいことではない。
でも「自分個人のそれを話すこと」は恥ずかしいと思うし
ぺらぺら喋るもんでもないと思う。
・・・なんだけど、どうも最近「恥じらい」と「恥」が混同されている気がする。
恥ずかしいことじゃなければオープンにするのが良いとのこと。
オープンにすればわかりあえるとのこと。
で、「知られたくないわ」という恥じらいは
「女の下ネタは恥という古き悪しき思想に洗脳されている」らしい。
いや恥とは言ってないのよ。ねえ。
あと国語辞典で恥と恥じらいを比較するのも違うからね。そういうことじゃない。
急にオープンの謎
まず何故いきなり「恥ずかしくない」から「オープン」に行ってしまうのか。
たとえば私は神奈川在住で○カップである。
「神奈川在住であること」を親会社の偉い人に話すことはあるかもしれないが
たとえどんなにふざけた空気になっても「○カップであること」は話さないと思う。
別にどちらも恥ではなく、神奈川県民も○カップの人間も山ほどいるわけだが
やはり話さない。
胸は下ネタではない(と思う)が、
話すプライベートと話さないプライベートはあるってことよ。
でもいつも飲んでる元同期であれば、同じく仕事関係の人であるが両方話せる。
「恥ずかしい事柄でなければオープンにせよ」の人々はこの違いがないということになる。
本当かね?
もし「近くのおっさんには話せないけど身内や世間には恥ずかしくない」のであれば
それは「旅の恥はかき捨て」というやつである。
恥ずかしいところが違う
私が私(と場合によっては夫)のことを話したくないのは
「女が下ネタを話すのは良くないと思っている」からではない。
公開するのが恥ずかしいからである。
トイレは個室に行って着替えは更衣室でするのと同じだ。
(昔から思ってるんだけど男性は恥ずかしくないのかねあれ)
別に排泄や着替えそのものが恥ずかしいわけではない。
それがどうして女性の喋る権利みたいな話になってしまうのか。
私が嫌だと言っているだけで、女性代表になったつもりはない。
自分がそういうことを話せないような相手のそういうことも全然知りたくないし。
というか最初に書いたけど、具体的な下ネタが嫌なだけで
具体的でなければ男女問わず話せる。恥ずかしいことではないから。
いや下ネタ完全NGだっていいはずなんだけど。
話のジャンルとして無理なものっていくらでもあると思うのだが、
どうして下ネタとか恋愛とかそういう話だけ恥とか権利とかが登場するのだ?
むしろそういうことにとらわれているのはそちらではないのか。
恥だと思ってて、それでも知りたくて勇気を出したのに開示されなくて
その敗北感をごまかすために言っているのではないのか。
まあそんなこと言うと「何逆ギレしてんの?笑」と返ってくるだろうね。
プライド高いから。